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絵画との訣別

posted Jun 22, 2010, 7:17 PM by HIROSHI MURATA   [ updated Aug 28, 2010, 5:56 AM ]
美術の範囲が様々な分野に浸透し、以前のような境界が希薄になりつつあります。
現代美術をとおして、人々の意識が物質文明に重きをおいた時代から、精神文明に向く時代へとシフトしていく途上にあるのを感じます。
以前のカテゴリーで言う、絵画・彫刻・造形・デザイン・書画といった確固とした所有可能な概念がすでに崩れております。
活動の対象も、紙の上・壁・床・天井・建築装飾・金属・石といった空間や材料でカテゴリー化することに限界が出てきております。

近ごろでは、その概念を推し進めてきた博物館や美術館の(収集・調査・保管・教育普及)といった機能のうち保管・収集が完全に機能できない館が増えてきております。その原因は、そもそもミュージアムが成り立つ過程、すなわち物質文明の所有することに価値を見い出す植民地化時代の名残にあります。
この点思い当たるところ、最近北川フラム氏が青森の美術館館長を解任されました。とはいえ、いずれは近い将来、批判はむしろ上記の価値観に固執する人々に帰ってくることになるでしょう。

むしろ、アートと名を打たずに活動する、様々な分野における覚醒への道が新たな美を生み出す可能性があります。
たとえば、チベットの曼荼羅です。紙の上に絵の具で描くのとちがい、色のついた砂を絵の具代わりに用いるのです。

この曼荼羅を描き上げるのには相当時間がかかっています。にもかかわらず出来上がった直後、砂を中心にかき集めて消し去るのです。
もちろん作家のエゴで、思うように描けなかったからという理由ではありません。あえて消し去ることに重要な意味があり、その精神性が我々の旧文明人には理解しがたいのです。あえてひとこと言うならば「もったいない」としかいえません。最後、その集めた砂は川砂なのでチベットでは川に戻すそうです。

意図的に消し去るこの行為は、絵画で言えば描いた直後に燃やしてしまうことと同じです。しかし、それが存在していれば、それには持ち去ることのできる要素があります。そのため、砂を用いること自体、最後の行為を完結するためのものなのです。
ここで、消し去るのは執着心の方であり、この行為は、美という無形のものに対する所有欲を芽生えるが瞬時に摘み取ることで、物に囚われない精神性を養う役目を演じているといえます。

ここに仏教の教えを見ることができますが、この様な行為はこれからのアートではありえるのです。ただし、その精神性が重要視されますが。
紙や壁などの絵や文字はある程度耐久性がありますが、あくまでもアートの一分野であり、今までの旧文明の日当たりが良かった時代の一形式であるに過ぎません。
当然のように、どこかのミュージアムでは、曼荼羅の実演後、砂をプラスチックで固めて永久保存するそうです・・・。
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